猿飛佐助のモデルとも言われる忍者の住まい
横谷左近 城館跡
横谷左近幸重は真田昌幸の側近で岩櫃城を巡る攻防で活躍したと言われています。上野国横谷村(現・東吾妻町松谷)を拝領し、同地にある雁ケ沢城(横谷城)を拠点にした忍者でした。位は高く、昌幸から絶大な信頼を得ていました。架空の忍者軍団「真田十勇士」のエース猿飛佐助のモデルの一人とも言われています。関ヶ原の戦いを前に真田昌幸と信之が父子で袂を別れた「犬伏の別れ」では犬伏から上田城まで昌幸の導者となり、昌幸からの感状が現存しています。東吾妻町の旧岩島村の「岩島村史」によると関ヶ原の戦いや大坂の陣にも加わりました。雁ケ沢城は難所の吾妻渓谷にあり、岩櫃城の西の関所のような役割を果たしていました。岩櫃城から伸びる真田道は渓谷の北岸の尾根を通っており、西から北からの岩櫃へのアクセスを抑えていました。横谷左近城館跡は雁ケ沢城の眼下にあり、ネズミ一匹も通さぬように渓谷を抑えているようです。横谷地区では、左近は弓の達人で城館から渓谷の対岸まで矢を飛ばしたという逸話が伝わっています。屋敷跡は荒れていたが、2022年から地域の歴史ボランティア「あざみの会」が整備を行っています。
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