かつてこの地には
忍者が存在した

In the past, ninja existed
in this area

吾妻真田忍者のすべて

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出浦渕

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吾妻真田忍者を統率した出浦の屋敷跡

出浦渕

真田氏の家臣で岩櫃城代だった出浦対馬守昌相(まさすけ)の館跡。岩櫃城の大手から西へと抜ける真田道で、東の木戸の付近に位置しています。街道の往来と城の出入りを監視していました。地域の歴史ボランティア団体「あざみの会」が丁寧に草刈りを行っており、扇状の緩やかな傾斜の平場が見て取れます。奥には崩れた石積みがあります。江戸時代後期に松代藩の家老を務めた河原綱徳による『本藩名士小伝』の記載では、出浦は甲州透破(三ツ者・甲州忍者)の棟梁とあり、横谷左近とともに吾妻の地侍・忍び衆を統率。甲州の忍術と軍略を焼き付け優れた忍者軍団として組織化したのではないかとも言われています。豊臣秀吉の関東平定では真田軍として北条方が守る忍城攻めで活躍し、関ヶ原の合戦後は、現在の東吾妻町原町に住み、78歳で死去しています。

場所 〒377-0801 群馬県吾妻郡東吾妻町原町 GoogleMap
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